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他の作曲家との関係

シューベルトは幼い頃から家庭でフランツ・ヨーゼフ・ハイドンやミヒャエル・ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンの弦楽四重奏を家族で演奏し、コンヴィクトでもそれらの作曲家の交響曲をオーケストラで演奏し、指揮していた。

シューベルトは一般的にロマン派の枠に入れられるが、その音楽、人生はウィーン古典派の強い影響下にあり、記譜法、基本的な作曲法も古典派に属している。

貴族社会の作曲家から市民社会の作曲家へという点ではロマン派的であり、音楽史的には古典派とロマン派の橋渡し的位置にあるが、年代的にはシューベルトの一生はベートーヴェンの後半生とほぼ重なっており、音楽的にも後期のベートーヴェンよりも時に古典的である。

シューベルトは当時ウィーンで最も偉大な音楽家であったベートーヴェンを尊敬していたが、それは畏怖の念に近いもので、ベートーヴェンの音楽自体は日記の中で「今日多くの作曲家に共通して見られる奇矯さの原因」としてむしろ敬遠していた。

シューベルトは「主題労作」といった構築的な作曲法が苦手だったと考えられているが、そういったベートーヴェンのスタイルは本来シューベルトの作風では無かった。つまりシューベルトにとってベートーヴェンは「ベートーヴェンの後で何ができるだろう」という言葉から感じられる通り、「克服すべき相手」だったと言える。

むしろシューベルトが愛した作曲家はモーツァルトである。1816年6月14日、モーツァルトの音楽を聴いた日の日記でシューベルトはモーツァルトをこれ以上無いほど賞賛している。またザルツブルクへの旅行時、聖ペーター教会のミヒャエル・ハイドンの記念碑を訪れ、感動と共に涙を流したという日記も残されている。

シューベルトが生前親交のあった作曲家としては、カール・マリア・フォン・ヴェーバーが挙げられる。1822年のウィーンでの『魔弾の射手』上演の際に知り合い、シューベルトの歌劇をドレスデンで上演する協力を約束したが、後の『オイリアンテ』についてシューベルトが、『魔弾の射手』の方がメロディーがずっと好きだと言ったために、その約束は実現されなかった。


シューベルトは後の作曲家の多くに影響を与えた。『大ハ長交響曲』を発見したシューマンは言うに及ばず、特に歌曲、交響曲においてメンデルスゾーン、ブラームス、ブルックナー、ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウス、ドヴォルザークなど、シューベルトの音楽を愛し、影響を受けた作曲家は多い。

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